2015/04/28

アイドルマスターシンデレラガールズ(ファーストシーズン) 感想

自分の中で考えがなかなかまとまらず、やや時間が空いてしまいましたが、いまさらですがファーストシーズン13話までの感想です。


アニメになったアイドルマスターシンデレラガールズという作品に対する現時点での見かたを簡単にまとめると、
「予想外に物語性、ドラマ性の強い作品であったことに対する驚きと、そうであるがゆえに感じる違和感と戸惑い」
といったところだろうか。

しぶりんと卯月の出会いから始まる第一話は、これからドラマを見せるぞ!
という決意のようなものを感じさせるつくりで、まずそこに、そうくるかという意外性があった。
というのも、もともとソシャゲであるシンデレラガールズのキャラクターの面々というのはかなり個性的で言い方は悪いかもしれないがわかりやすい記号的な特徴が付与されているキャラが多い。
本家765プロの面々はそういう記号性は抑えられているのとは、方向性が違っていて、それ自体はゲームそのものの特性の差であり差別化でもあるので、どっちがいい悪いと言う話でもないとは思う。
ただ、アニメ化に際して先行した765プロのいわゆるアニマスがあまり記号的でないキャラであったがゆえにドラマ性、物語性の強い作品を作るのに向いていたのに対して、シンデレラガールズはあまりその方向性は向いていないのではないかと思っていた。
ドラマ性を追求するより、キャラものとしてキャラの個性、魅力を描くことに重点を置いたほうがいいし、向いている作品だろうと、個人的にもそういうものが見たいし、そうなるだろうと期待していた。第一話の放送が始まるまでは。

しかし、その予想を見事にはずれ、6、7話にいたっては、そこまでやるか、というほどに重いというか濃厚なドラマを見せ付けられて、すごいと思いつつもかなり戸惑った。
しかし、その後の個別のユニット結成を描く各話では、ドラマ性は残しつつも、キャラの魅力、個性を描くほうに、力点が置かれていてこの個別ユニット回は、これこれこういうのが見たかったんだよ、というつくりだった。

アニメアイドルマスターシンデレラガールズは原作ソシャゲの個性的記号的なキャラで765アニマスと同じ方向性の物語、ドラマをつくろうとしていると思うのだけれど、この素材で、この料理の仕方はチャレンジ過ぎないか?と思ってしまう。

しかしその一方で、このアニメ化で最も自分が意外性を感じつつもその魅力と株が挙がったキャラがみくにゃんこと前川みくなんだろうと考えるとまた複雑ではある。

みくにゃんは猫耳つけて語尾に「にゃ」をつけるベタベタな特徴づけをされている、ある種アイドルものとしてみた場合、それこそギャグとしてステレオタイプのモブ扱いされてもおかしくないポジションにいる。
そのみくにゃんがアニメ化される中で、アイドルになりたいという欲望に忠実で、泣いたり怒ったり普通の女の子が持つ情緒を表にさらけだし、はしばしに生活臭を漂わせ、その記号的な外面に反して、もっとも血肉の通った人間として描かれている。
みくにゃんにかぎらず他のアイドルたちもそういった側面は数多く見られる。
これは、ドラマ性のあるものを作ろうとするがゆえに、登場人物をすべて等しく地に足のついた人間として描く必要性から生じたものであるのだけれど、そうであるがゆえに、記号的であったはずのキャラクターが記号的でない別の魅力を獲得するにいたったわけで、ドラマ性をおさえていたら、みくにゃんがこういうキャラに成長することはなかったかもしれない。

記号的なキャラを記号的なままで終わらせない、血肉の通った魅力を引き出したい、という意思が、シンデレラガールズという作品にはあるのかもしれない。
その為の濃厚なドラマ作りであるとしても、一方で本田未央というキャラクターは、その負の面を背負わされてしまったのではないかと思わずにはいられないのだ。

もうひとつ、違和感を感じていることがある。
それは、追い込んでいるキャラ、物語に対して、得られるカタルシスが半端に感じてしまっているということなのだけれど、それがなぜなのかは、今はまだ明確に言語化で来ていない。
6話の未央の追い込みに対する7話の解決編のカタルシスは7割、13話の節目のライブ回は8割ほどのカタルシスしか感じない。
キャラや物語を追い込んだり重い展開を見せられたら、その分100%のカタルシスで返して欲しいと思うのだけれど、そこにブレーキがかかっているというか、100%気持ちよくさせてもらえない何かがある。
正直これがなんなのか、なぜそうなのか、あるいはそう感じてしまうのかは、未だにわからない。
ひとつには、まだしぶりんや卯月。未央というキャラをまだぜんぜん描き込んでいない、道半ばの状態にあるがゆえなのかもしれない。あるいはまだ100%に持っていく気がなくて、出力をおさえているのか。
どちらにせよ、気持ちよくドラマのカタルシスを感じたいのに100%気持ちよくなれない、絶頂に至れないもどかしさを現時点では感じてしまっているのは確かだ

アイドルマスターシンデレラガールズという作品は、自分のもっている物差しで計ろうとすると、微妙になにかがずれる。
それは記号的であったはずのキャラにここまで血肉の通ったドラマをやらせようという、意欲的、挑戦的作品を過去にみたことがないからかもしれない。
そうであるがゆえに、ちょっと計り知れない何かがあるようにも感じ、現段階では第二シーズンを見るまでは判断を保留せざるを得ない、と感じている。

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